聖護院(しょうごいん)は京都府京都市左京区聖護院中町にある本山修験宗総本山の寺院。同宗派設立以前は天台寺門宗に属した。山号はなし。開基(創立者)は増誉、本尊は不動明王である。
日本の修験道の中心寺院の1つ。近世以降、修験道は江戸幕府の政策もあって「本山派」「当山派」の2つに分かれたが、聖護院はこのうちの本山派の中心寺院であった。また、代々法親王(皇族男子で、出家後に親王宣下を受けた者)が入寺する門跡寺院として高い格式を誇った。江戸時代後期には2度にわたり仮皇居となったこともある。
当寺の開基は園城寺の僧・増誉である。増誉は1090年(寛治4年)、白河上皇の熊野詣の先達(案内役)を務めた。この功により増誉は初代の熊野三山検校(熊野三山霊場の統括責任者)に任じられ、役行者(修験道の開祖とされる伝説的人物)が創建したとされる常光寺を下賜された。これが聖護院の創建である。寺名は「聖体護持」の意である。熊野三山検校の地位はその後園城寺が引き継いでいたが、室町時代中期からは聖護院が務めるようになった。
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1236年(嘉禎2年)、熊野に屯倉を所有していた後白河上皇の皇子の静慧法親王(じょうえほっしんのう)が入寺したことにより、熊野との結びつきを一層深めた。また、静慧法親王以後、代々法親王が入寺する宮門跡寺院としての地位を固め、天台宗内で重要な地位を占めた。それと共に、それを背景として熊野の修験組織をまとめ上げ、熊野三山検校として修験道の重要寺院としての位置づけを確固たるものとした。
その後、応仁の乱に巻き込まれるなど、数度の火災によって焼失し、寺地も洛北(現・京都市左京区岩倉)や洛中を転々とするが、1676年(延宝4年)に現在地に再興された。
江戸時代後期には、1788年(天明8年)と1854年(安政元年)の内裏炎上に際し、光格天皇と孝明天皇が一時期仮宮として使用していたため、「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定されている。当時の聖護院門跡は光格天皇と同母弟の盈仁法親王であり、当院と皇室は深い関係であった。
1868年(明治元年)の神仏分離令に続き、1872年(明治5年)には修験道廃止令が発布されたため、天台寺門宗に所属することになったが、第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、修験宗を設立(本山修験宗の設立は1957年)して天台寺門宗から独立した。